裏側

 10月31日。俗に言うハロウィンというこの日の深夜。零課のオフィスでは仮装顔向けの疲れた表情でデスクに座る男たち3人の姿があった。

「き、きつい…!」
「毎年ながら…イベントの日は犯罪が増えますからね…」

 脱力したように体重をデスクに預ける朝倉に、とんとんと自身の肩を叩く小豆。「今日だけで何件扱ったんだ…」とポツリ火澄が口にすれば、小豆がパラパラとデスクに置かれた分厚い束の資料を捲る。「…考えるのはやめましょう」その言葉に火澄は肩を落とした。事実今日で解決した事件もあれば増えた事件も山程ある。後でまとめて上に報告する必要があるだろう。いつもはチーフである瀬基の仕事であるが、有給消化で休んでいる今それをするのは小豆だ。

「でも、やっぱ今日チーフ休んでもらって良かったっすね」

 朝倉の言葉に、僅かに頷く者と小さく息を吐く者がいる。
 基本的に、零課の人間に休みはない。それでも「有給」という制度はあるわけだが、それも使わない限り溜まっていく一方なのである。しかし、去年から始まった働き方改革の影響によりそれも義務化になった。その為か、瀬基は部下には半ば強制的に休みを与える事も少なくはない。部下には、である。抑、零課全員が基本的に否が応でもワーカーホリックの人種だ。気が付いたら一ヶ月の連勤をしていたなどという事だってザラにある。上司に当たる瀬基は、それが一番顕著に表れていた。瀬基への強制力がこの場にいる人間にないというのも大きいだろうか。
 なまじ体力も備えている男のためか、疲れている様子どころか仮眠室で熟睡している姿すら見た事がある人間は少ない──どころか、いないのではないだろうか。
 それでも、最近の瀬基は目に余るものがあった。
 あの事件が終わり謹慎が終わった後、零課は依然として多忙であった。それは、ある種全員にとって良かった事だろう。忙しいのなら、余念を考える必要がない。この場の全員が、それには首を縦に振るだろう。しかし、人間である事も確かなのだ。適度に休まないと身体はいつか壊す。あの男でもそれは変わりないのだ。
 あの事件後、零課としての事件だけでなく、それぞれ個人的にも巻き込まれた事件も少なくはなかった。元々がワンマンな男であるためか、瀬基のそれは零課の他の誰よりも多かったように見える。否、見える分だけでも多いと感じるのだ。誰も知らないところで何かに巻き込まれて、誰も知らないところで終わっているなどといった事だってあるだろう。
 それに関して、誰も何も言うところはない。問題は、瀬基がそれを誰にも言わないところである。その一点において、この場の誰もが苦虫を噛み潰したような顔を一度はしただろう。
 閑話休題。つまるところ、最近の瀬基である。
 自分達を見て穏やかに笑うようになった。自分達を通して、目の奥に優しいものが灯るようになった。あの事件以来、それは明々白々である。特別態度が変わったわけではない。あいも変わらず軽口だって叩く。しかしそれは、その変化は、僅かばかりのしこりとして事件後に残っていた。

「……まあ、ほうれん草が出来ませんからね、あの人」
「…致命的ですよね、そこ」

 全員が息を吐く。優秀である事は認めよう。朝倉程ではないが体術にも優れている。火澄程ではないが頭も切れる。身軽に動くことにおいては小豆には敵わないが、それでも遅いというわけでもあるまい。要するにオールラウンダー。この場の誰よりも「一人で」事件を解決する事には長けているのだろう。
 しかし、自分達は班であり、そして彼の率いる瀬基班なのである。仕事を割り振るのが下手だとは言うまい。班の人間の個々の能力を瀬基は誰よりも理解している。信用してくれている事も分かる。分かるのだが。

「疲れた時は疲れた〜って言ってくれりゃいいんすけどね」
「疲れてる自覚も無さそうですしね。人にはあーだこーだ言う姿をよく見かけますが」
「……小豆さん、何か怒ってます?」
「いえ」

 トントンと束にした資料を机に叩く小豆の口調は少し早い。その様子に年少二人は苦笑した。

 ──瀬基は、変わらなかった。件の事件を解決してから、確かに何か吹っ切れたような表情をするようになったが、基本的には何も。
 しかし、穏やかに笑っているのに、その奥には必ず悲しみがあった。最初こそ気付かなかったそれは、時を経つにつれていずれ分かる。最初は朝倉だっただろうか。誰よりも仲間想いである彼は、僅かなその違和感に最初は瞬いたものだ。その後すぐに小豆も火澄も気が付く。四年以上ほぼ毎日を共に過ごしているのだ。抑彼はそれを隠す素振りすら無かったように思うほどであるし、そうなれば分かるのも必然だろうか。
 初めこそ、同僚──否、瀬基にとっては相棒のような存在だっただろう。古くからの付き合いだという事は知っていたし、二人の掛け合いからその関係が決して柔なものではないことくらい容易に想像が付いた。そんな彼女を撃ち、自分達がずっと追っていたソレを解決させたのだ。そこから引き摺られているのだろうとは想像が付いたのだが。

「…頼りないんすかねえ、俺ら」
「………」
「…多分、あれで頼ってるつもりなんだろ」
「頼れと言うのは、別に、自分達の能力をふんだんに使えと言うわけではないんですけどね」
「まあチーフ、俺らの能力はちゃんとフル活用してくれるっすもんね」

 息を吐く。つまるところそういう事である。
 彼は自分達の能力を何よりも理解してくれている。公平に、平等に、ソレを事実として評価してくれている。だからこそ、その部門に置いて自分達に全て任せてくれる事だってある。
 しかし、こと今においては問題はそこではない。彼の抱えているものを、部下は何も知らないのだ。あのような目で見る癖に、自分自身の抱える大事なことは何一つ口にしない。自分達のことはいくらでも知っているだろうのに、それではあまりにも不平等ではないのだろうか。
 彼が一人で耐えれる事も分かる。理解はしている。それでも、あまりにも「大丈夫」そうであるが故に、吐き出さないが故に、吐露しない故に。その姿は、いっそ不気味なほど、どこか、ほんの少し──小指の甘皮ほどの微量の焦燥感を感じさせるのだ。

「私情を挟まないのは悪い事ではありませんが。…切り離して考え過ぎるんですよ」
「仕事外になると途端に単独行動ですもんね〜」

 頷く。その上、厄介なのが一人でもある程度全部こなせてしまえるということだ。ドライというわけではないのは嫌というほど知っている。頼るのが嫌というわけでもないだろう。しかし根本的に、必要性を感じないと、あの男は自分達に荷物を預けようとしない。

「…そう言えば、この前の朝倉さんの件もそうですしね」
「あー、ボロボロになって帰ってきた時の…」
「いやそれ言うならちょっと前火澄と帰ってきた時もさあ」

 一つ言葉を落としてしまえば、堰を切ったようにそれは溢れる。頼ればいいのだ。一人で出来るとしても、頼ればその分楽になる。当たり前だ。誰だって分かる。だと言うのに。
 深夜、零課のオフィスは、珍しく三人全員の声で溢れていた。


 11月1日。三人は、オフィスで瀬基を待っていた。家に帰ってまた来るよりも、待つのなら泊まった方が早いし楽だという結論に至ったのである。何より仕事もまだ余りあるほどにあるのだ。帰っている暇がないと言えばその通りである。
 手を動かしながらも、三人はひとまずこの際ハッキリさせてしまおうと頷く。睡眠不足は何よりも判断思考を鈍らせるのである。
 朝。トントンと軽い足音が廊下から響く。暫くすれば、その足音の主がオフィスへと入ってきた。

「はよ。…早え、じゃねえのか。何、全員泊まったの?」
「おはようございます」
「っす! おはようございます!」
「…おはようございます」

 きょとんと首を傾げる瀬基に、三人はひとまず挨拶を返す。頷く様子から先程の問いを返し、それから一度小豆が咳払いをした。

「チーフ、少しお話が」
「ん? なに。昨日何か問題でもあったか」
「…いえ、そうではなく」

 仕事の話ではない。その思いから少しばかり小豆の視線が横に逸れる。しかし逸れた視線の先に映る朝倉と火澄に、こくりと目線で頷き合う。何度でも言おう。睡眠不足は人の思考を大きく鈍らせるのである。

「昨日はゆっくり休めましたか」
「ん? あー、そうだな。…うん、休めたよ。ありがとな」

 彼の目が緩む。それからくしゃりと歯を見せて笑って、三人の頭をぽんと撫でた。「休んだ分は働かせてもらいましょうかね。今日は基本的に俺に任せていいぞー」そんな言葉を軽く飛ばしてから、瀬基はジャケットを脱ぐ。軽やかな足取りに、いつもと変わらない口調。休めたという事に嘘はないのだろう。
 しかし。

「……昨日、何かありました?」
「…ん?」
「あー! やっぱ昨日も何かやった感じっすよね!?」
「もう貴方は休みの日に外に一歩も出ないでください…」
「歩く足には塵が付く、ですよ」
「え、ええ…何、どうした…?」

 テンション高えなと若干身を引く瀬基に三人はさらに詰め寄る。当たり前だこちとら一睡もしていないのだ。元々の連勤続きでの疲労も溜まっている。その上での徹夜明けの人間の思考はネジが外れて仕方がないだろう。そんな思考でさらに言葉を投げる三人に、瀬基はどうどうと落ち着かせる。
 暫く三人の攻撃のような質問の嵐をはははと交わしながら、三人が肩で息をし始めた頃。ようやくその攻撃はおさまった。おさまったと言うより三人の疲労が達したと言う方が正しいのだが。

「………お前らさあ」
「……」

 質問が止まった事を悟り、ふう、と、瀬基は息を吐く。デスクに僅かに体重を寄せれば、ぎしりと軋む音が響いた。一瞬の静寂。声のトーンは僅かに低い。流石に言い過ぎただろうか。仮にも上司。言いたい事は言えるとは言えど、過ぎる事は何事も良くはない。
 表情を消したその男の顔に何を言われるのかと、少しばかり三人に緊張が走る。
 そして瀬基は一度目を伏せてから、静かに瞼を震わせて三人を眺め、ふっと表情を緩めた。

「ほんとに可愛いな」
「は?」
「うわ…」
「げぇ…!」

 どういう脈略だ。三者三様、思い思いの表情を見せる。その様子に瀬基はまたおかしそうに笑った。「なに、俺の事心配してんの?」くすくすと笑う瀬基にまた三人はぐっと喉を詰める。当たり前だと口にすれば、瀬基はまた、大きく快活な笑い声を上げた。

「手を取るのは、身近にずっといる、ね…」

 ぼそりと、瀬基はなにかを言葉にする。しかしそれを全員が聞き取る事はなくただ空気に溶け、首を傾げる三人に瀬基はまた緩く表情を柔らげた。

「んじゃ、お言葉に甘えて引き上げてもらう準備でもしようかねえ。…はは! 朝倉の力だけじゃ弱えかもよ」
「え、何すか…?」
「朝倉の力じゃ足りない…?」
「何の話ですかそれ…」
「さあてねえ」

 にやにやと笑う上司に、三人は訝しげに目を合わせて首を傾げる。そんな様子を見て、また瀬基は笑う。

「ま、俺のことどうにかしてえと思うなら、先に自分のことをどうにかする事だな。あっはっは」

 おかしそうに、楽しそうに、愛おしそうに男は笑う。その目の奥に既に悲しみはなく、ただ、水を打つ静けさだけを残して。

 その水面が次に動くのはいつになるのだろうかと、ただ、男はそれを楽しそうに待つのみである。

冥界の逢瀬の裏側の話