誕生日
「はい、これ履きな」
「へ?」
零課の結成直後の頃。まだ、朝倉は若干の緊張感を零課に持っていた。一課でトップを誇る的場、SPとして誰からも注目される瀬基、女性ながらにしてそれに劣らぬ成果を上げる相模原、サイバー犯罪対策課で活躍する警視庁随一のメカニックである火澄、科学警察研究所で人並外れた研究成果を上げる小豆。自身も特殊部隊で華々しく活躍していた事を棚に上げ、朝倉はこのメンバーの中に自分がいる事に言いようもない違和感を感じていたのだ。勿論引け目に感じるという事ではない。そういう訳ではないが、ほんの少しだけ、水面にぽとりと一滴絵具が落ちるかのように、朝倉の心情は僅かばかり波打っていた。
漠然と、ただ、何故なのだろうと。そんな疑問だけが、朝倉の胸のどこかで小骨が刺さるように痞えていたのだ。
そんな時の、冒頭のセリフである。
これから捜査という時に、瀬基は朝倉に一つ紙袋を渡した。差し出されたその紙袋と瀬基を交互に見比べる。瀬基はそのままくいとさらに差し出して、朝倉は首を傾げながらもそれを受け取った。
受け取ったからには中身が気になる。靴紐を結ぼうとしゃがんでいた朝倉は、その中身を見ようとデスクにその紙袋を置いた。そして中身を見てみれば、その中にあったのは靴だった。皮の光沢が黒く光るそれに、朝倉が真っ先に抱いた感想は「かっこいい!」「高そう!」である。ホォー…と、その靴を見ていると、瀬基は呆れたように息を吐く。
「見てるんじゃなくて、靴は履くものよ」
「……え!? これ俺にっすか!?」
「この流れで私の靴を渡すと思う…? 畜生過ぎるでしょそれ」
苦笑しながら、瀬基はくいと朝倉の足元を指差す。そこに視線を向ければ、そこにあるのは自分の脚。否、靴である。警察になってからずっと履き続けているそれは、親から就職祝いに買ってもらったものだった。長年使われたそれは、年季が入っていると言えば聞こえはいいが、ボロボロと言った方が正しいように思えた。
「確かに内羽根の方が適してる課もあるけどね、零課では外羽根の方がいいと思うわよ。もう随分と踵も擦り減ってるし? それにストレートチップを常に履くのも味気ないでしょー」
「内羽……ストレート…?」
「……あー、まあいいや」
呪文のような言葉が瀬基からの口から放たれたかと思えば、瀬基はそのまま苦笑した。
「何か大切な思い入れがある物なら無理にとは言わないけどね。そうじゃないなら受け取って頂戴」
「…い、いいんすか?」
戸惑いがそのまま表情にも声色にも表れるその男に、瀬基はおかしそうに笑う。
「あんたは私達の最後の砦になるかもしれないんだから。動かないといけない時にしっかり動けるように、ってね」
「…最後の、砦?」
「ん? だって、なんか朝倉ちゃん、最後までずっと立っててくれそうだし。私よりタフそうな人間もあんまり見ないからね」
「……」
「誇りなさいよ。そこは、この零課の中で朝倉ちゃんにしか誇れないところなんだから」
に、と微笑むその人に、朝倉は目を瞬かせた。あまりにも予想外な言葉だ。
この零課の中で、自分だけ? 最後まで、自分が?
「…瀬基さんよりも?」
「はあ? …いや、多分私普通に朝倉ちゃんとタイマン張ったら負ける気がするけど…? まさかあんた自分の化物具合分かってないの?」
何を言っているのだと怪訝そうに目を細める瀬基に、朝倉は何故かぶわりと高揚感にも似た感覚に襲われた。
瀬基の噂は本当にずっと聞いていた。勿論他の仲間の噂も聞いていたが、SPで指揮を取る事も多かった瀬基とは何度か現場でも見かけた事があるため余計に聞こえていたというのもあるかもしれない。
決してこの男は高圧的というわけでもない。ガタイが殊更特別良いわけでもない。勿論強面というわけでもない。しかし、その輝かしいばかりの栄光と、独特の雰囲気からくる佇まいが、瀬基清李という男を一層近寄りがたくさせていた。特殊部隊の仲間内でも、瀬基という男についてやっかみの声が無かったと言えば嘘になる。他所の課の人間にさえ、そんな感情を抱かせる男である。
そんな男が、自分に負ける?
おーい、という声に、ようやくはたと弾かれるように目を瞬かせる。思考が飛んでいた。反射的に大きく返事をして、それから少し唇を噛んだ。
「え、えーと。その…が、頑張るっす!」
「はは! 気張るのはいいけど気負うのは駄目よ〜」
「うす!」
「…本当に分かってる? ま、頼りにしてるって事。忘れないでねえ」
トン、と、瀬基は朝倉の胸を叩く。何故かその拳は、朝倉の胸に強く響いた。「ほら、早く履き替えて。行くわよ〜」「あ、はーい!」慌てて、しかし丁寧にその靴を取り出して、靴紐を結ぶ。革靴は最初のうちは足に馴染みにくいものだが、どうしてだかその靴はぴたりと当てはまった気がした。先に前を歩く瀬基に駆け寄るようにして走れば、それに気付いた瀬基が振り返る。目が合うと、瀬基は何故かとても嬉しそうに笑った。わしゃわしゃと髪を掻き撫でられ、思わず「うわあ」と情けない声が上がる。それは子供扱いされているようだが、何となく認められたようで。知らずに朝倉の頬は上がったのだった。
「朝倉ぁ〜」
「うわ!」
はたと、目を開ける。少しぼうとしていた。呼ばれた方を見れば、瀬基が朝倉の読んでいる雑誌を後ろから覗き込んでいた。それは丁度靴の特集をしているページで、瀬基はそれに首を傾げる。
「なに、新しい靴欲しいの?」
「…ふは」
「ん? クリスマスだし買って〜とかお願いされるかと思ったけど。なに、違った?」
瀬基が問う。また傾げる瀬基に、朝倉はぱちと目を瞬いて、それからへたりと顔を崩した。
「いや、俺はまだこの靴で……この靴が! いいっす!!」
いきなり元気よく嬉しそうに声を上げた朝倉に、瀬基は目を瞬かせる。「そう…?」「はい! あざっす!」尚もにこにこと笑う朝倉に、まあいいかと瀬基も笑ったのだった。