なんでもない
初めて見た時は、どこにもいない奴だなと思ったものだった。
「……んー…」
「お? どうしたキーツ、悩み事か?」
珍しいな、とロバートは兄弟分であるキーツの頭を二度三度撫でる。
それに「おぁ、ロバート」と名前を口にして、キーツは口を尖らせた。それを見てロバートは目を瞬かせる。本当に悩み事があるようだ。
「いや、ほら。クリードいるじゃん」
「ん? あぁ、なんだ。補佐役になって暫く立つけど、不満なのか?」
「いんや。それは全然」
不満はない。ない、から、不満だというのが正しいかもしれない。
そんな言葉にするのが難しい感情が、最近はキーツの心の隅にいつも引っかかっている。
一緒にいたら楽しい。幹部の中では年齢が一番近い事もあり話も合う。お互いに暇であればどこかに出掛けたりもするし、一緒に酒を飲む事だって多い。話しかければ笑って対応してくれるし、仕事だってよく出来る男だ。
まだロナイトファミリーに入って短いというのに、彼はすぐにその中心へと入ってきた。
それに、文句はない。むしろ歓迎している。彼自身に嫌な点はおかしなくらい一つもなかった。
ただ。
「なん…つーか…うーん…」
「なんだ? 煮え切らないのは珍しいな」
「んー……なんつーかな…」
うーんうーんと唸るキーツに、ロバートは瞬く。なにか思う点があるのなら補佐役を変えればいいのに、と。そう口から出かかる言葉を飲み込んで、こうして人のことで悩む赤髪が珍しくて少しだけ口が綻んだ。
実際、補佐役を変える事は確かに楽ではない。リチャードの一人息子だ。次期ドンであるキーツの一番隣にいるのはかなりの信頼とその人間の能力がいる。そんなものを、数年で攫っていったクリードの事を下の奴らがどう思っているのかは分からない。否、よく思ってない人間だって当たり前にいるだろう。
だが、キーツが一言「嫌だ」と言えば、そんなものすぐに変わってしまうものだ。それをキーツ自身もわかっているからこそ、下手な発言はできないのだろう。
「…うーん、……なんか、さ。クリードって」
「うん?」
「ここにいない時ねえ?」
「は? ……なんだ、怪しい動きでもしてんのか?」
「いやそうじゃなくて」
スッと目を鋭くさせたロバートに、キーツは軽く手を振る。そうじゃない。行動の話ではなく。
「心? が、なんか。…どこ見てんのか分かんねえっていうか……目合ってんのに目合ってねえな〜て思う時があんだよな」
「……。随分抽象的だな?」
「んー、うん。だからなんか、困ってるっつーか」
困っている。…困っている、わけでもない。実際、クリードはキーツにとって本当に良くできた補佐だった。キーツだって彼を気に入っているし、それは嘘ではない。
「スラム出身だっつってたから、そのせいかな〜とは思うんだけどよ」
「ふうん…?」
「なぁんか、たまに…うーん、なんだろな」
わかんね! とキーツは手をあげて笑う。元々深刻な悩みでもないのだろう。それでも妙なところで勘は働く男であるためか、はたまた人の心に長けているせいか。無意識に人の本質をその目だけで推し量ろうとする。
しかしそもそも疑う事をしない男だ。それはおそらく、リチャード譲りのものだろう。
だからこそ周りがしっかりしてねえとなあ、と。ロバートは軽く肩を上げる。しかしその実、このロバートでさえその性質は色濃く残っているのだからどうしようもない話である。
「ま、何かあったら言えよー」
「ん」
分かってるよとキーツは笑って、ロバートはわしゃわしゃとその頭を撫でた。
そのままロバートは暫く話したあと、そこから去った。テーブルの上に置かれたグラスは水滴で濡れて、キーツはその水を指で軽く弾く。
「……悩みがあるってわけでもなさそうだしなあ…」
ぽつりと言葉を落として、溜息。それからまた暫く考えてから、パンと手を叩く。
そうだ、何か贈り物をしてやろう。クリードの好きな物を買ってやれば、自分の持つ物を増やしてやれば。この奇妙な感覚もなくなるかもしれない。何より、贈り物をすればきっと喜ぶ。自分も楽しいし、いいことばかりだ。
キーツは意気揚々と伸びをして、買い物をしようと外に足を向ける。そして、はたと止まって。
「……アイツって何が好きなんだ?」
そんな簡単なことで躓いたのだった。
大きなヤマが片付いて、本日のロナイトファミリーの屋敷では少しばかり豪勢なパーティがあった。パーティと言っても、慰労会に近しい物であり、堅苦しさは一切ない。
そんな中、クリードはいつものように壁の近くでグラスを傾けていた。賑やかな場所は嫌いではないが、自分の居場所ではないように思う。楽しくないわけでもないが、それでもそちらに行くほどではない。
そうして壁際にいるクリードに、とんと肩が叩かれる。振り向けばそこにいたのはロバートであり、邪気のない笑みで「飲んでるか?」と問うた。
「ん、勿論。美味いよ」
「お、そりゃ良かった。なんだ、キーツのとこにはいかないのか?」
「あぁ…。まあ、忙しそうだからな」
視線を前に向ける。部屋の中央で賑やかに笑うキーツはとても楽しそうで、仲間と腕を組んで酒を飲み交わし、陽気に歌を口ずさんでいた。それを見て知らずに目が細まる。あれほどまでに全力でパーティを楽しんでいますと全身で訴えかけてくる人間も珍しいだろう。
グラスをまた傾ける。一人で飲む酒ではあったが、部屋で一人飲むのとではやはり違った味がした。
そんなクリードを見て、ロバートの視線もそちらに向く。キーツを見て、それからクリードを見て。
「……。…はは!」
「…ん? なんだ」
「いや。昔キーツが言ってたこと思い出してよ」
「ラズが?」
ロバートは笑う。クリードの訝しむ顔には答えずに、クツクツと喉を鳴らして昔のことを思い出した。
キーツがあの時言っていたことは確かに本当だったのだろう。それでも、それでも。
今隣にいる男の瞳に映るのは鮮やかな赤色だと、きっと誰が見ても分かるというのに。
──いや、それを分かっていないのは、きっとこの場には当事者二人だけなのだろう。
くく、と。ロバートは再度口の中で笑い声を噛み殺す。訝しげに見るクリードに、ニッと歯を見せて笑った。
「頼むぜ兄弟、ちゃんとキーツを見ててくれよ」