ホルマリンの裏側


あちこちで爆発音が聞こえる。
音のした方からはいくつもの黒い煙が上がる。
電灯とは違うゆらゆらとした明かりが見える。
車の急ブレーキの音やクラクションがいつまでも鳴り続ける。
ここまで人々の悲鳴が聞こえてくる。




真夏の、うだるような暑さの続く、夜。
上層部からの圧力により捜査が停留しかけていた事件が、急展開を迎えていた。




目的の病院からは少し離れた、車通りの少ない道路沿いに、少し乱暴な運転さばきで車が停められる。
「それ付けて。チーフと合流したらこっち渡してくれ。俺はここから指示出すから」
自前のノートパソコンの画面から目を離さず、片手でキーボードを打ち続ける火澄は、運転席のシートベルトを外す隣の男に、空いている手で耳に着用する用の無線機を差し出す。
それを受け取りながら、車のドアに手を掛けて隣に座る男――朝倉が、念の為と言わんばかりに確認する。
「本当に1人で残って大丈夫か?」
「平気だって言っただろ。…一応病院からは少し距離があるし、拳銃の携行許可も出てる」
「…そっか」
朝倉が火澄の持つ拳銃を一瞥する。自分で持っている訳ではないにしても、それが連想させるものは決していい記憶ではないだろう。
零課全体が既に事情を把握しているため、今回朝倉だけは拳銃を携行していない。
火澄自身、そのことに僅かばかり安堵を覚えている。
「まあ、チーフもいるし大丈夫だって!お前もここから指示出してくれるんだろ?」
渡された」無線機を装着しながら、朝倉が問う。
「…別に心配はしてないけど」
すこし不機嫌な声で火澄が返す。
庭師の事件が終結してから、この調子で会話することが増えていた。
このやり取りになんとなく、居心地の悪さを覚える。事件以前の、零課結成直後は一体どのようにして接していただろうか。今となっては記憶が朧気だ。
少しだけノートパソコンの画面から目を離し、火澄は今から現場へ向かおうとする男の顔を見上げる。彼は少し不思議そうな顔をするが、ニカッと笑って白い歯を見せる。相変わらず自信に満ちた表情だ、と感じる。
小さくため息をついて、この場で最後の指示を出す。
「…チーフと江口さんは別の車両で現場に向かうらしい、あっちで合流してくれ。…もしかしたら到着まではお前ひとりで耐えてもらうことになるかもしれない」
「おう、任せとけ」
いつもの"仕事"の顔だ。笑ってはいるが、しっかりと気を引き締めている顔。
任せてしまって大丈夫だ、という安心感を覚える朝倉特有のその表情を向けられて、火澄は再び視線をノートパソコンに戻す。
「じゃ、行ってくる」

車のドアがバタン、と閉められる。
少し置いてから前方を見れば、フロントガラスの向こうに病院へと急ぐ朝倉の姿が見えた。
眉間に皺を寄せる。
比較的安全な場所から指示を飛ばすことしかできない自分と、人間を襲う謎の人型生物が蔓延る中心地点に向かう仲間。
その力量差に苛立ちを覚える。ある意味では、常に自分よりも"他人"を優先することができてしまう彼への憧憬もあるのかもしれない。
先程よりも重いため息を溢していると、装着していた無線機に先程別れた彼からの連絡が入る。
「火澄!」
――切り替えなければ。
慣れた手つきでキーボードを叩きながら、自分のやるべきことを再確認する。
今、自分が少しでも判断を誤れば、仲間の身が取り返しのつかないほどの危険に晒されることになる。
ここからでも朝倉の、瀬基の、そしてどういう訳か事件の渦中にいる小豆のためにできることが、ある。
ノートパソコンの画面では、半ば強引な操作ではあったものの、病院の補助電源が作動したことを告げるウィンドウが表示される。
院内の防火扉を作動させるため、即座に病院のセキュリティの掌握を試みつつ、今まで最小化していた地図のウィンドウを立ち上げた。


「…最短ルートを指示するからその通りに進んでくれ。急がないとどんどん被害が拡大する」
「到着したら何よりもまず患者の避難だ。――チーフが到着する頃までには済ませるぞ」

ホルマリンでも裏側で働いてる零科が見たい