過去



 百日──金魚Sが覚えている最初の出来事は、死体が転がる中どこか安全な場所へと逃げているところだった。

 物心ついた時から、世界は地獄だった。否、だからこそ、希望に満ち溢れていたというべきだろうか。
 父親は戦争に行って死んだらしい。母親はどうだったか。子のみが生き残って親が死んでいる、だなんて、あまりにもよくある話だった。
 唯一残されていた家族写真は、上部分が焼け焦げ、赤ん坊の自分自身ですら顔の判断がつかなかった。皆が生きる事に必死で、他人のことまで気が回らない。写真なんて物よりも、美しい思い出よりも、命の方がよっぽど大事だったのだ。

「本当に、どうしてこうなる……」

 溜息。大きく大きく吐かれたそれは、誰に届くわけでもなく空気に沈んでいく。
 名の知れた名画、輝く宝石。それから何の価値もなさそうなガラクタまで揃えられた、まるでアトリエのようなその場所。そこに赤髪をまるで尾のように泳がせた人物は、周囲のそれらを目に留めずにただ自分の足元を見る。
 常であればここの主人である金魚以外、この場に人は訪れない。そんなヘマはしないと言った方が正しいだろうか。怪盗である限り、その棲家においそれと他人を招き入れる人間も少ないだろう。
 そんな中、足元の存在──その、小さな赤子に、金魚は辟易としていた。

 元々は、もうずっとこのままだったのだ。このまま、そう、赤子のまま。泣きもせず、動きもせず。ただただ人形のようにそれは眠り続けていた。
 成長すらしないものだから、金魚は何度か自分の頭がおかしくなっているだけで、これは本当に人形なのではないかと何度も思ったことがある。
 しかしその度、温もりのある肌とわずかに上下する胸に、どうしても生を感じて無碍には出来なかった。
 ──それが動き出したのは本当に最近だった。目を開け、言葉にならない声を出し、あまりにも「普通」のような動きを見せる。自分も含め明らかに異質であるはずなのに、それはあまりにも普通だった。
 この頃には、自分の見た目が変わらないことにも金魚は自分自身で気がついていた。元より仮面を被り続け生きているようなものであるため、他人に指摘を受けなかったのは幸いだろうか。
 誰にでも姿を変えられ、自分自身がどれが本当の素顔かすら曖昧になってきているというのに。その金魚自身が不変を手に入れてしまっただなんて何とも皮肉な話である。


 閑話休題。
 その頃、金魚は玲那識という名前で探偵業をしていた。あくまでも代役、彼が目覚めるまでは勤めてやろうと少しばかりの老婆心が芽生えたのだ。それが自然に芽生えた程度には、金魚Sという怪盗は玲那識という探偵を気に入っていた。
 何せ初めて綺麗だと思ったのだ。まるで宝石のようだと思った。ブリリアントカットされた石のように、沢山の反射面から光を屈折させているような。しかしそれでいて目の奥はどこまでも深く、月のない夜のように底が知れない暗闇を彼から感じた。
 その、瞳に。月が反射するのが好きだった。だから、その瞳に映りたいと思ったのだ。欲しいと思った。彼の欲する物が、追いかける物が自分であればいいと。
 だからこそ、自身の世界が壊れた時にでさえ手を伸ばしてしまったのだろうと自分の行動に納得させている。
 しかしその探偵業も、彼が育ち始めているのであれば対応を考えなければならない。金銭的に困っているわけでは勿論ないが、子を育てたことなど勿論ないため、途方に暮れているのも嘘ではなかった。
 同じ生き物かと疑うほどにうるさい。目を離せばすぐに動き回り突飛な行動をする。何にでも手をつけ口に入れる。まるで予測ができないことばかりだった。
 そして極め付けは、力を込めたらすぐに死んでしまいそうな淡い命だというのに、まるで愛されて当然とも言うかのようにじっとこちらを見てくることだった。

「この、ガキ……」

 悪態を吐いたのちに息を吐く。子供が嫌いだということは元々理解はしていた。何せ話が通じないのだ。
 出来ることなら誰かに預けてしまいたい。それでも、今後どうなるか分からない身体や今まで成長しなかったことの謎、成長後どうなるかなど問題点はあまりにも多すぎた。今の現状であれば戸籍だって本来のものは使えないだろう。そうなれば病院だって難しい。自分であればある程度誤魔化すことは出来るが、他人が出来るかと言われれば誰しもできることではないだろう。
 勿論、今であれば新しく作れるかもしれない。それでも、今後もし急成長したり逆に自分自身のように老いなくなったりすれば、何も知らない人間たちの中で過ごしていれば異質になるのは間違いない。
 何も、分からなかった。それでも彼をここまで連れてきたのは自分だ。その自覚はあった。
 だから、ある程度は飲み込むべきだと理解はしているのだが。

「だ、っから、動くなって! ……っ、ああああぁあ泣くな、分かったから泣くな怒鳴って悪かったから……!」

 言葉を理解しない人間と共に過ごすのはここまで大変なのかと、世の中の親の存在に日々慄く金魚だった。

 




とみさんが親として不器用っつってたとこから百日ってか金魚って親いなかったのかなと思った話
実際は知らん(?)